☆次ぎは、三号歌碑から弘方面に路なりに100m程歩いた所にある九号碑です。

     ☆歌意(内容説明的です)は、《神亀(じんぎ)【724〜729】のころ

      太宰府から対馬に糧(かて)をおくるよう命じられた宗像郡津麿に代わった志賀の

      荒雄は、肥前の国の美祢良久(みねらく)[福江島三井楽]から対馬に向かって船

      出したが、暴風雨にあって海没した。それから八年、荒雄の妻子はなおその生還を

      念じてこれらの歌を作ったという。また、一説では筑前の国守山上憶良(やまのうえ

      のおくら)の作であるとも伝えられている。

      歌詞のの鴨といのは荒雄の船の名、也良の崎は能古の島の北端で、そのあたりを漕い

      で来る荒雄生還の吉報を期待する家人(いえびと)のせつない心を詠んだ歌である。》

     ☆歌碑の寄贈者は入江英雄氏(九州がんセンター院長・九州大学名誉教授)デザイン伊藤

      研之氏(画家) 昭和51年3月建設されました。