志賀島(しかのしま)は、福岡県福岡市東区に所属する島。博多湾の北部に位置し、海の中道と陸続きである。
古代日本(九州)の大陸・半島への海上交易の出発点として、歴史的に重要な位置を占めていた。
また島内にある志賀海神社は綿津見三神を祀り、全国の綿津見神社の総本宮である。
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地理
・砂州により本土と陸続きになった陸繋島。全国的にも珍しい。和白方面から県道志賀島和白線が続いている。
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概要
 
 志賀島(しかのしま) 

 福岡県民も志賀島を島という意識はありませんが、志賀島橋で結ばれたりっぱな島です。 周囲約11キロ、全戸数約790戸、人口約3000人余りの島です。

 江戸時代の天明4年(1784年)に秀治と喜平という2人の農民が、この島の田んぼで偶然に「漢倭奴国王」の金印を発見しました。
この金印は中国の後漢書に、西暦57年(日本は弥生時代)に漢の皇帝「光武帝」が奴国(なこく)の 使者に金印を渡したことが書いてあり、その金印だと言われています。歴史的にも貴重な品で国宝になっています。
そもそも日本(倭国)のことが記述として残っている事柄は、この後漢書の記述が最古です。その記述にある金印が 発見されたと、いうことは後漢書の信憑性もぐ〜んと高くなったということであり、中国の歴史の上でも重要な品なんです。
この金印は日本の歴史の始まりを示す貴重な品の一つで、今は福岡市博物館に展示されています。 この金印がなぜこの志賀島に埋没していたかはよく解っていないようです。

 志賀島の東側には人家はなく、荒々しい海岸沿いを道路が通っており、なかなか良いドライブコースです。 岩場で魚釣りをする人(それほど多くない・・・)海岸に降りて遊んでいる人などを見かけます。ただ、駐車場は無いので道のふくらみに駐車することになります。
その東側の海岸に三角形の岩が二つ並んでおり「二見岩」と言います。「二見岩」には直径1mくらいの穴が開いています。この岩には志賀島独自の「浦島太郎」伝説があるのです。

その浦島太郎伝説とは、次のような話です。
 昔、志賀島では南側の志賀地区を「表」と表現し、礎鹿(しか)と呼び、北側の勝馬地区を「裏」と表現し、浦島(裏島)と呼んでいたそうです。
その浦島に太郎という働き者の若者がおり、村長の一人娘姫子と夫婦になるだろうとうわさされていた。ある夏、太郎が岩場で魚釣りをしていると、 激流に打ちのめされ傷だらけの亀を見つけ、薬草を塗り海に放したところ大あらしになり、太郎は大波にのまれ、翌朝、浜に打ち上げられたそうです。
村長は村人と看病したが「助けた亀で竜宮に行った」などと口走り、よくなる様子がありませんでした。 村長は太郎の空言を現実に作ろうと、二見岩を美しく染め、そばの料理屋を竜宮城に変え、姫子を乙姫にして、太郎を亀に乗せて行かせた。 乙姫を見た太郎は驚きで正気に戻り、二人はめでたく夫婦に・・・』という話で、同岩で、二人が愛を誓い合ったといわれています。

※浦島太郎伝説は福岡市のサイト(歴史 志賀島・西戸崎エリア)を参考にしました。